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栗林公園の梅林とメジロ

数年振りに栗林公園を訪れた。南梅林の梅は七分咲きであったが、馥郁たる梅花と花蜜を求めて、愛嬌たっぷりに人の姿も恐れず、小首を傾げる4羽のメジロが花から花へ飛び回る姿が目に入った。他の梅の木に飛び移ることもなく、同じ木の枝から枝へと蜜を求めている。同じ場所に生えている同じ樹種の梅花である。さほど差もあるまいと思うが、試しに香りをきくと花の香りは、他の木のそれよりも春の香りを多く含んでいるように感じられた。春はもうそこまで来ている。

一粒の砂に世界を見、一輪の野の花に天を見る

英国の詩人ウイリアム・ブレイクの「無知の告知」の冒頭の言葉である。ブレイクは続ける「一粒の砂に世界を見、一輪の野の花に天を見る」と。一筋の光も闇あればこそ、その存在が明らかになる。光の中で光を見ることはできない。見上げる高峰もまた低き連山や裾野の広がりがあってこそなのである。
人間の本質は、ブレイクが詠いあげたように一粒の砂や一輪の野の花のようないと小さきものの中に存在する。
掌中の一粒、その白く輝く一粒の砂の中に、彼は全世界を見ているのだ。今や彼の周りの全世界が、その小さな一粒の砂に凝縮し、全世界を表象しているのだ。いや、その小さな一粒の砂が全世界そのものであるのだ。
極大の無限の世界を極小の無限の中に握っているのである。極限の無限の中ではその逆もまた成立する。極小の無限の中に極大の無限を見ることもまた可能なのだ。
「一輪の野の花に天を見る」この詞章もまた同様である。無限の宇宙を小さな野の花に閉じこめているのだ。無限に広がる青い空、天空に散らばる無数の星々が、野に咲く花に宿っている。

「無垢の告知」でブレイクはまた人生の歓喜と悲嘆が織りなす「神に与えられた魂がまとう衣」を、さまざまな苦痛に満ちた生を詠っている。人間は歓喜のうちに生まれ、悲嘆の中でその生を終えねばならぬ存在である。人の世の喜びと悲しみ、歓喜と悲嘆はゆえに人間にとって必然的なものなのだ。その悲しみ、悲嘆をくぐり抜けてこそ、我々は心の平安を得ることができるのだ。耐え難いと思える悲しみ、永遠に続くかと思える悲嘆、極大の無限から極小の無限へ「一粒の砂に世界を見、一輪の野の花に天を見る」とき、私たちは、その悲しみと悲嘆を一粒の砂に閉じこめ、一輪の野の花に包み込み、癒されて、その心の痛みを心の糧として、いわば魂が浄化されて、再生できるのである。

冒頭4行の原文は、

To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a wild Flower
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour

William Blake
Auguries of Innocence

一粒の砂に世界を見、
一輪の野の花に天国を見る
手のひらに無限をつかみ、
一瞬のうちに永遠をとらえる

an hour は2行目の flower と韻を踏んでいます。

ブレイクのこの詩には生きる力がある。この詩には生きる智慧がある。
ブレイクのこの詩には人を生かす力がある。この詩には人を生かす智慧がある。

ブレイクのこの詩は哀歓を織り交ぜた人の世を歩み続けるすべての人の道標である。